古武術とは

 沖縄で古武術が実際の戦いの場に頻繁に登場するようになったのは、いわゆる戦国時代と呼ばれた「三山分立」時代(11世紀〜12世紀)と言われている。
 この頃の沖縄は、「南山王(大里按司)」「北山王(今帰仁按司)」「中山王(玉城王)」の三大勢力がお互いに覇を競い合っていた。このため、様々な武器や戦いの方法、城塞の建築方法等が発達したのである。
 また、この時代は約一世紀の間、中国との交流が途絶えたので沖縄独自の古武術が編み出されたとも考えられている。
 その後15世紀に入って統一された首里王朝のもと、沖縄の古武術は中国からの武術の影響も取り入れて、首里の武士階級を中心にして発達しながら地方にも広まっていくことになる。
 古武術の発生は、11世紀〜12世紀頃のいわゆる「南山」「中山」「北山」の三山分立時代の沖縄戦国時代からと言われている。
 その後、察度王の1372年に、中国へ初めての朝貢が行なわれた。以来約500年にわたって続けられた中国との進貢貿易の中で、日本の刀などの武器を輸出する傍ら、さまざまな武器や武術が沖縄にもたらされるようになった。
 以後、沖縄の自然環境や歴史的な背景に影響されつつ、もとからあった古武器にこれらの武器が融合し独特な沖縄の「古武術」へと発展していくことになる。
 古武術にとっての大きな転機が訪れるのは、尚真王(1477年〜1526年)時代での刀狩の実施と、薩摩の琉球侵攻(1609年)後にとられた禁武政策であると言ってもいいだろう。これにより、武器の携帯が禁じられた武術家たちは、身近にある生活用具や農・魚具などに工夫を重ね、武器として転用させながら沖縄独自の古武術へと昇華させたのである

★古武術の武器★


★古武術とは★

古武術の道具と技T

○棒
 棒術は剣術と違って、そのどの部分も刀と化し得る千変万化の武器である。つまり、剣には変化自在の組太刀があるが、刃を敵にあてなければ斬れないと言う制限をもっている。しかし、棒には刃も柄もなく「薙ぎ」「突き」「打つ」の万能性を、その六尺のすべてに秘めている。
 その歴史は、北方より来たものと南方より来たものが以前から沖縄にあったものと一緒になり、研究されてきて現在の棒術に至っているとも言われている。
 実際の鍛錬にあたっては、「技を敏速」かつ「確実」に行なうことを心がけると同時に、「身の捌き」を速やかにして、その攻防の変化を常に研究・練習しておくことが肝要である。
 現在残っている型として「津堅棒」「周氏の棍」「佐久川の棍」などがある。
○サイ
 「サイ術」のサイは、インド、中国を経て沖縄に入り発達をとげたものであり、昔は仏具のひとつとしてかぞえられ、その形状から「人体を具現している」と言われている。
  実際、寺院では宝物や経典・仏具等を自ら守るために僧達によって武器として開発され、次第に武士階級に密かに伝えられた、とも言われている。また、その型の名称はほとんど著名な沖縄の武人達が編み出したため、その名を冠して呼称され現在に至っている。
 「サイ術」には、「打つ」「受ける」「突く」「打ち落とす」「引っ掛ける」「貫く」があり、護身のための武術であるとされている。普通の武術のように相手を刺殺して自己を護るのではなく、相手に危害を与えず静めるのを第一義的に考えて創られた、と言ってもいいだろう。
  現在沖縄に残っている型としては「津堅志多伯のサイ術」「多和田のサイ術」「浜比嘉のサイ術」などがある。
○ヌンチャク
 ヌンチャク術は、元々は暴漢や多人数の暴力に対してその相手の攻撃力を弱め、相手を静めるために使われた。故に、型においても受けから始まっていることが大きな特徴としてあげられる。
 沖縄の昔のヌンチャクは、長さ七寸五分(約22.5p)から十寸(約30p)位までであったと言われている。小型で携帯に便利であり、敵の攻撃に対して身を護るのに非常に大きな力を発揮したので、常時携行されていたと言われている。
 現在残されている型としては「前里のヌンチャク術」「東氏の二丁ヌンチャク術」などがある。
「ムーゲーヌンチャク」
 ヌンチャクの原型に近いと言われている「ムーゲー」は、古来歴史とともに農民の間に受け継がれてきた馬具の一種で、現在までほぼ原型のまま残っている。二本の長さは十寸(約30cm)程で、三角型に削った木片を、ちょうど馬の頬骨や顎を締め付けるように作られている。現在のヌンチャクよりもやや短いが、それでもなんら手を加えずに使用できて不自然さを感じることがない。
○ウェーク(カイ術)
 「砂掛け(スナカチ)」または「ウェーク手(ディ)」とも言われていて、漁民によって開発された型の一種であり、その攻撃や防御には棒術の技法を取り入れている。特徴としては、「砂掛け」と称して海や砂浜で相手の顔に砂や海水を掛けて目潰しを仕掛け、直ちに攻撃をして切り倒す、ところにある。
 ウェークには、棒と違って「切る」と言う技が可能である。故に、習熟すれば極めて実践的で破壊力溢れる武器になる。
 現在残されている型としては、「津堅砂掛ウェーク手(チキンスナカチウェークディ)」「津堅赤人ウェーク手(チキンアカッチュウェークディ)」などがある。

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古武術の道具と技U

○鉄甲、鉄柱、ジーファー

 「鉄甲」
 鉄甲は元々農耕用に使われている馬蹄の一種であり、いざと言う時に側に置いておいて、直ぐ敵と戦うことができ相当な効果をあげることができたと言われている。携帯にも便利であり、咄嗟の場合の護身用として古くからいろいろと研究され現在の鉄甲の形になっている。
 「鉄柱」
 鉄柱は隠し武器の一種で「暗器」とも言われている。鉄製の箸のような形をしていて、その中心に指輪のような物が取り付けてあり、それに中指を通して使用する。この時、鉄柱の先端がわずかに指の先から出るくらいで、一見したところ武器には見えないので、相手が油断したところを先端で急所を突いて死に至らしめると言う危険な武器の一種である。
 沖縄では、樫の木で鉄柱に似たものを作り護身用に懐中に潜ませて持ち歩く人もいたと言われている。
 「鉄柱」の型については、小林流の「ジオン」の型から平信賢が編み出し今日に伝えている。

「ジーファー(かんざし)」
 「ジーファー(かんざし)」なども、手の中に隠し持つことができる身近な武器であり、鉄柱と同じく護身用の武器として今日に伝えられている。
○トゥンファー
 トゥンファーについては、木製の棒に把手がついていて「坊」と呼ばれている中国の武器の一種が、沖縄に伝来したのが原型と言われている。沖縄では、唐ウシの柄を考案してトゥンファーとして使ったようである。
 元来、日本本土の古武術にはない沖縄独特の武具であり、二本一組で使用するが操作が難しく熟練度を要求される武器である。今日でも、有段者以上に指導しているが、これを自在に使いこなすには相当の日数を必要とされている。
 現在残されている型としては「屋良小のトゥンファー術」「浜比嘉のトゥンファー術」などがある。
○ティンペー・ローチン
 盾(ローチン)と鉾(ティンペー)がセットになった武器であり、沖縄の三山割拠時代にすでに実践で使用されていたことが、琉球の万葉集とも言うべき「おもろさうし」にでている。
 手にそれぞれ防御用の小型のローチンとティンペーを持ち、防御・攻撃にあたる。昔は、牛皮や竹に似た「トウ」でローチンを作っていた。現在残されている型としては「鐘川のティンペー」がある。
○鎌
 最も身近にある農具で武器に代用できる物に鎌があった。鎌は型を創ったり鍛錬をすると言うようなことは少なく、技術もそのほとんどが空手より取り入れて使われていると言ってもいいだろう。鎌は、その刃の持つ武器の特徴故に他の古武道に比べて危険性の割に関係錬成の効果が少ないが、六尺棒との乱取り試合等、なかなか迫力がある。技としては、「受けて刺したり」「突いたり」「切ったり」等の他に「投げて当てる」技もある。  
 現在残されている型としては「鐘川の二丁鎌」がある。
○スルチン
 形は鎖鎌に似ているが、スルチンは六尺、七尺の鎖の両端に合わせて一キロ弱の小型の分銅がついている程度だから、懐にも入れて歩ける、と言う非常に便利な武器である。使い方は分銅を利用して振り回し目的物にあてる。

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